そもそも宝鏡神社は、山上条の氏子と合同で祭事を行うため、現在の位置に近世(1928年=下記年表参照)、建立されたもので、その元神社が神明宮(俗称=「東の宮」)とされている信州新町上条の久保地区にある神社である。
その歴史は古く、鎌倉時代(1185年~1333年)にこの地域(信州新町、大岡村、信更町の一部)を納めていた豪族・香坂氏が関与し、以前からあった神社の整備を行ったものが現在の「東の宮」と推測される。
この香坂氏は、相当の力量があったらしく、牧郷地区にある興禅寺(こうぜんじ=禅寺としては長野県で3番目に古く1227年の建立)を開祖(新たな宗派を開始すること)、上条地区にある安養寺(あんようじ)を末寺(まつじ=本山、本寺に従属する寺)としている。
この安養寺も付近の出土品の五輪塔等からして、時たまたま安養寺が禅寺に改宗したときに末寺になったのであって、興禅寺より古い時代からあったものと推測される。
当時、神社とお寺はほとんど同時に地域に建立されていることから、安養寺もこの「東の宮」も、香坂氏がこの地に来る前からのものであり、当時は、お堂(神仏を祭った小さな建物)、庵(いおり=執務に用いる質素なたたずまいの小屋)、祠(ほこら=神をまつる小さな殿舎)等の類と思われる。
香坂氏の力量の大きさから神明宮(神社としては格調が高く、近くは大町の仁科神明宮が有名である)としての位置付けとして現在の「東の宮」の基礎を築き、その後幾多の変遷を経て、現在の形になったものと思われる。
文献が少なく興禅寺の資料から推し量っているが、客観的に見ても「東の宮」の本殿の造りは格調が高く、犀川から国道19号で遮断されてはいるが、本殿に至るまでの距離等を考えると、由緒あるものであることは否めない事実である。
(平成27年7月 「東の宮」整備事業に伴い、小口宮司記す)
西 暦 | 和 暦 | 月 日 | 備 考 |
808年 |
大同3年 (平安時代) |
三の宮親王より神鏡(しんきょう=神霊のご神体として神社の本殿に祀られている鏡)である、八重鎌伝来の霊八重鎌を奉納される。(*1) |
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1847年 |
弘化4年 (江戸時代) |
5月8日 |
善光寺地震(推定M7.4)の節、長野市信更町にある岩倉山の斜面が大崩落し、犀川が信更町安庭地区で大規模な閉塞が生じ、上流に最深65mもの巨大な堰止湖(せきとめこ)が出現した。地震発生から19日後にその堰止湖が決壊し、下流域に大洪水を引き起こした。その際「東の宮」も大きな被害を受け、三の宮親王より奉納されていた神鏡(しんきょう)が流出し、行方不明となった。(*1) |
1873年 |
明治6年 | 4月 |
村社(そんしゃ=各地に鎮座する小規模な神社。また、神社の旧社格の一つで、無格社の上に位する)に列す(仲間に加わること)。(*1) |
1925年 |
大正14年 | 10月3日 |
上条宮ノ向沖の現在の地に、初めて山上条及び上条地区の氏子が共に参拝できる新たな神社の大規模整備事業(本宮・拝殿・社務所・宝物殿の新築等)が始まる。 |
1928年 | 昭和3年 | 11月5日 | 約3年の歳月をかけて、上条宮ノ向沖の地に新たに神社が建立され、「宝鏡神社」と命名された。 |
1980年 | 昭和55年 | 4月1日 |
長野県神社庁より幣饌料(へいせんりょう)(*2)供進(ぐしん=神に供え物を奉ること)神社に指定される 。 |
1983年 | 昭和58年 | 9月28日 | 台風10号が長野県を縦断し、拝殿の後方斜面が大規模崩落を起こし、拝殿が全壊する。 |
1984年 | 昭和59年 | 6月14日 | 拝殿後方斜面の復旧治山工事(土留工・のり枠工・吹付工・植栽工)が着工される。 |
同年 | 同年 | 10月31日 | 拝殿後方斜面の復旧治山工事が無事完了した。 |
1986年 | 昭和61年 | 11月16日 | 拝殿の上棟式(柱・棟・梁などの骨組みの完成)が、執り行なわれた。 |
1987年 | 昭和62年 | 4月 | 宝鏡神社の拝殿の新築工事が完了した。 |
1997年 | 平成9年 | 鳥居改修(鳥居全体をコンクリートにて、かさ上げ)工事を行う。 | |
2015年 | 平成27年 | 7月 | 「東の宮」整備事業(拝殿等の老朽化のため)が完了する。 |
2017年 | 平成29年 | 3月4日 | 拝殿周囲の樹木が拝殿及び屋根等に支障をきたし始めたため、宝鏡神社の整備事業を計画。神社庁の了解が得られたため、事業が順調に進み、この日に完了した。 |
(*1)「上水内神社誌 改訂版」を参照
(*2)天皇陛下または天皇皇后両陛下が行幸される(お出かけされる)場合、行きの都道府県の神社にお供えがされます。このお供えを「幣饌料(へいせんりょう)」といいます。
【 興禅寺 (こうぜんじ)】
長野市信州新町牧田中1889
【 安養寺(あんようじ) 】
長野市信州新町上条224
【 東の宮 (ひがしのみや)】
長野市信州新町上条258-1